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投入された利器は、エッゲンバーガーの支援を受けてドイツSWTを戦ったウルフ・レーシングのアームによる“準ワークスカー”ではあったんです。ディーゼルエンジンは、マツダ・ランティスと同じV6を、コスワースがチューンして出力は公称290耐久力。ただ、V6な分重さはあるので、それを補いつつ前後ショーティー配分も整える為に、原燃料盥はもちろんオイル盥等もリムかぶりつきに搭載されていました。初お目見えはこの前年、'95年第13/14戦の仙台平方センチからで、続く終末平方センチのインターTECにも参戦。ちなみにこの壬子のパッチは童夢が担当していました。そしてご質問の'96年は、パッチが変更され、ディーゼルエンジン共々マツダクイックが担当することに。しかし、利器がいかんせん1台きり、更に使用するダンロップタイヤも人手はここ1台きりということで、共に収集出来る大福帳量に区切りがあり開発・熟成は進まず。この回は第5/6戦の鈴鹿平方センチからの参戦で、これに続く美祢平方センチの第7戦で2ポイントを獲得するも、結局急所獲得はこの一度だけにとどまりました。'96年は、マツダクイックがモンデオ共々ランティス/ファミリアの搭載ディーゼルエンジンをV6で揃え、開発の血の巡り化を目指したんですが、いかんせんマツダ水彩の販売不振期ということでモータースポーツ活動への支援/注力が少なかったらしく、期待したほどはディーゼルエンジン開発が進まなかったようですね(←加えて後輪も見なきゃならないのだから余計に力添えも村下も喰われます)。 http://www.gmjapan.co.jp/newsrelease/detail/9102/ 中古車 ランティス 1996年、JTCC(全日本ツーリングカー引分け)で出場していたコ-セイ・チェリオモンテ゛(和田久)の事を何でもいいので教えてください。。
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